九鬼嘉隆の胴塚と首塚
(Kukiyoshitaka Douduka/Kubiduka)
(Kukiyoshitaka Douduka/Kubiduka)
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●戦国の将、九鬼嘉隆の悲しいロマン
戦国時代水軍の勇将、九鬼嘉隆は、鳥羽に本城を構えていました。
織田、豊臣に仕え、いくつもの戦功をたてました。 慶長5年関ヶ原の戦いに三成の陣営に加わります。
息子の守隆は、家康の陣に父子相対することになりました。 西陣が負け嘉隆はこの島に逃げのび洞泉寺に身を寄せます。
息子守隆は、家康に助命を願い許されるのですが、自害をするのです。
嘉隆の胸中は世のむなしさを悲しんだのでしょうか。敗将として生きながらえるのをよしとしなかったのでしようか。
今、墓は胴塚、首塚と2つ残っています。
せめて首だけでも海の見える岬の頂に埋めた村人のやさしさが偲ばれます。
戦国時代水軍の勇将、九鬼嘉隆は、鳥羽に本城を構えていました。
織田、豊臣に仕え、いくつもの戦功をたてました。 慶長5年関ヶ原の戦いに三成の陣営に加わります。
息子の守隆は、家康の陣に父子相対することになりました。 西陣が負け嘉隆はこの島に逃げのび洞泉寺に身を寄せます。
息子守隆は、家康に助命を願い許されるのですが、自害をするのです。
嘉隆の胸中は世のむなしさを悲しんだのでしょうか。敗将として生きながらえるのをよしとしなかったのでしようか。
今、墓は胴塚、首塚と2つ残っています。
せめて首だけでも海の見える岬の頂に埋めた村人のやさしさが偲ばれます。